「縁」は僕の頬を伝った一筋の涙から始まりました。
僕の本業は石材店。
中山石材店は明治21年(1888年)に創業し、石材を多くの墓石としてご提供してきました。
130年以上ずっと石と共に「供養」という営みに携わってきました。
そんな僕に12年前、どうしても忘れられない出来事が起きました。
某大手企業が始めた合同墓。
その合同墓はピラミッド状の形をしていて、
一番上の部分が蓋のように開き、
そこに散骨していくというシステムです。
ひとつの合同墓に2000人以上の方のお骨が既に入っております。
今までは身寄りのない方等の無縁仏は合同墓に納められてきました。
しかし、昨今、お墓を持ちたくない、お墓を持てないという人が増え、
ご家族や親類が居る方でも、そういった合同墓を希望する人が増えているのです。
そこに埋葬されていくお骨を何千と見ているうちに、
僕は自然と涙が出ていました。
どんな命も誕生した瞬間は皆に喜ばれ祝福され、ひとりひとり大切に育てられていたはず。
それなのに、命が亡くなった時は一体どうだ?
亡くなって、このように家族や知り合いでも無い人と混ぜられるように納骨されていく・・・。
確かに時代と共に供養の在り方が変わっていくのは仕方がないことですが、
ひとりひとりの命を供養するという意味はいつの時代も変わらないはず。
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亡くなった方へ想いを馳せ、
感謝の気持ちを持ったり、
お疲れ様という労いの気持ちを持ったり、
人が自然と持つ供養の気持ちを、
守っていかなければならないのではないか?
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そういった想いが強く沸き起こりました。
生きている人間の都合で、死を毛嫌いしている時代に悔しさを覚えました。
だって今自分がここに存在するのは、
必ず誰かからずっと命のバトンを受け継いできたからに他ならないのです。
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お墓という形でなくてもいい。
何か身近に置いておいて供養できるものを作りたい。
亡くなった方を大切にしてあげられる形を作りたい。
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そういう思いから、
お骨を新たな供養のモニュメントとして側に置いておけるように
手元供養の新しい供養の在り方を模索し、「縁」を立ち上げることにしました。